別所長治だけでなく荒木村重までもが信長に反旗を!?どうする官兵衛!

荒木村重までも官兵衛を裏切る

 官兵衛、宇喜多直家を調略する

秀吉が三木城攻略にかかっている間、官兵衛は信長からある命令を受けます。それは毛利の前に立ちはだかる宇喜多直家を調略せよとのものでした。上月城での戦いで激しく戦った相手を手の内に引き込めというのですから、なかなかの難問です。

しかし、官兵衛には考えがありました。
上月城の戦いに参戦していた直家でしたが、山中鹿介幸盛が城主に返り咲いたため再度これを奪還すべく繰り広げた戦いには、吉川元春と小早川隆景の軍が参加しているのに、直家の軍は参加していなかったのです。代わりに直家の弟・宇喜多忠家(うきたただいえ)が参戦しており、不参の理由は体調不良だとしていましたが、これを官兵衛は怪しんだのでした。

体調不良などというのは真っ赤なウソで、直家は未だに毛利輝元側に完全には就かず、どっちに味方した方が有利なのか見極めている状態なのではなかろうか…と。

宇喜多直家像
▲宇喜多直家像(戦災で焼失)

上手い具合に官兵衛にはツテがありました。官兵衛の母・岩の父であった明石正風の親戚筋が宇喜多家に出入りしていたのです。
そのツテを使って宇喜多直家に面談を果たした官兵衛。滔々と自説を繰り広げて、信長側に寝返るよう説得を開始しました。

直家もまた心の内を見透かされた気分になったかもしれません。ここは輝元を裏切って信長に味方するちょうどよい潮時なのかもしれぬ…
直家は家臣を集めて評議をし、その結果、信長側に就くことを決定。その知らせは追って官兵衛へ、そして秀吉に知らされました。

 続発するまさかの裏切り

西の方角に吉報あれば、東に災難あり。
天正6年(1578年)10月、今度は摂津の有岡城(ありおかじょう・伊丹城)主であった荒木村重が反旗を翻したのです。秀吉とともに三木城攻略の兵を挙げていましたが、突如兵を引き上げ、有岡城に籠ってしまいました。

村重が翻意した理由については、はっきりとは判っていません。
信長と争う石山本願寺に和平交渉のため訪れた村重が、石山本願寺のあまりの困窮ぶりを見て、交渉を有利にすべく食糧を横流ししたことで、石山本願寺ひいては足利義昭とパイプができたからとも言われています。

また、石山合戦の際には先鋒を務めた村重でしたが、その座を他者に奪われ、活躍と出世の見込みが消えたからという説などもあります。

荒木村重錦絵図
▲荒木村重錦絵図(歌川国芳筆・伊丹市立博物館蔵)

どちらにせよ、この謀反には信長も仰天します。混沌とする播磨どころか、安泰と思われていた摂津までもがこのような事態となっては、中国地方平定どころではありません。
信長はまずは村重の説得に取り掛かりました。家臣の明智光秀(あけちみつひで)たちを村重の有岡城へ派遣して説得工作させます。

また村重に従っていたキリシタン大名の摂津国・高槻(たかつき)城主の高山右近(たかやまうこん)もまた、村重の謀反に反対の立場を示し、村重の説得にあたります。既に妹を人質として村重に預けていたものに加え、長男までも人質に差し出して、真摯な態度で臨みました。


▲姫路城(ピンク色ピン)と有岡城(黄色ピン)の位置

その甲斐あってか、村重は恭順の意を固め、母親を人質として差し出すべく信長の待つ安土城へ足を運びます。
しかし、道中で立ち寄った摂津国の茨木城(いばらきじょう)にて城主の中川清秀(なかがわきよひで)に「安土に向かっても切腹を命じられるだけで意味はない。戦うべきだ」と恭順を反対されてしまいました。
さらには村重自身の家臣からも「恭順するなら、村重ではなく他の者を領主に据えてでも抵抗する」と訴えられ、村重はまたも立場を翻してしまったのです。

一転、有岡城に戻り、信長との融和姿勢を凍結した村重でしたが、信長側も諦めることなく説得の使者を派遣します。けれども信長が出した「母親を人質として差し出せ」との条件を、村重はあっさり蹴ってしまいました。

中川清秀
▲中川清秀(梅林寺蔵)

さらに恐れていた事態が露わになりました。
官兵衛の主君である小寺政職が村重の謀反に呼応して、輝元側に就くと言いだしたのです。信長に謁見したものの我が子を人質に出さず、のらりくらりした態度をとっていた政職でしたが、ここに来てとうとう本心を明かしたのでした。

これには官兵衛も動揺します。御着城に出向き、政職を説得にかかりますが、首を縦に振る気配はありません。
挙句に政職の家臣が官兵衛を暗殺するらしいとの噂まで耳に聞こえてくる始末でした。

官兵衛の家臣は心配し、姫路城に立て籠もり、政職の軍勢と戦うべきだと進言しましたが、それこそ主君に対しての謀反になるとして官兵衛は反対します。
一度主君に仕えた以上、義に反した行動はとらない。それが官兵衛の考えでした。

再度御着城に登城した官兵衛は政職説得に臨みました。
政職の答えは「村重が信長側に戻るなら、戻ってもよい」というなんとも解せない回答。それでも村重さえ説得できればなんとかなると考えた官兵衛は、村重説得に向かう旨を秀吉に伝えました。秀吉は了承し、官兵衛は有岡城を訪ねることに。
しかしそこに罠があろうとは、そのときの官兵衛が気付くはずもなかったのです。

官兵衛を待ち受けていたとんでもない罠とは…?

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