官兵衛の生還とは対極の始末となった主君・小寺政職の失脚

官兵衛、大名になる

 後藤又兵衛の追放

有岡城主・荒木村重が大物城へ脱出したことをきっかけに有岡城の戦いが信長軍の勝利で終結すると、残された家臣たちの処分が次々と実行されました。
結果、全員が処刑され、銃殺であったり、農家に押し込められて焼き殺されるなど悲惨なものだったと言います。
妻・だしや村重の子たちも、京で市中引き回しの上で六条河原で処刑されました。
一方、村重は大物城を抜け出し、花隈城(はなくまじょう)へ移っています。

花隈城跡
▲花隈城跡(兵庫県神戸市中央区花隈町1)

官兵衛もまた有岡城の戦いの負の遺産をひとつ解決せねばなりませんでした。
それは後藤又兵衛(基次・ごとうまたべえ・もとつぐ)の処分。
又兵衛は三木城主・別所氏の家臣の子でしたが、父の死で行き場を失ったため官兵衛が引き取り、妻の光が養育していました。官兵衛には長政以外に子がおらず、その長政も秀吉に人質となっていましたので、又兵衛は我が子同然に育てられていました。

しかし、有岡城の戦いで様相は一変します。
又兵衛の伯父にあたる藤岡九兵衛(ふじおかきゅうべえ)が毛利輝元方に味方したため、同じ一族である又兵衛にも非難の目が向けられたのです。いわば連帯責任ということでしょうか。
結局、官兵衛は又兵衛を黒田家から追放しました。

 小寺政職の失脚と三木城陥落

信長方から輝元方に転じ、陥れんがために有岡城へ官兵衛を遣わせた小寺政職もまた大きく動揺します。まさか官兵衛が生きて戻って来るとは…
すぐにでも官兵衛は自分を討ちに来るであろう、そう察した政職は御着城を捨てて逃亡。信長に文書で赦しを乞いますが、村重に便乗して裏切った者を信長が許すはずもなく、政職は西へ西へと流浪します。結局輝元の庇護を受けるべく、鞆の浦に身を隠したのでした。

官兵衛は父・職隆の頃から小寺姓を名乗っていましたが、謀反を起こした者の苗字を名乗るのは良くないとの進言を受け、姓を元の黒田に戻しました。
以降、小寺官兵衛から黒田官兵衛となります。

天正8年(1580年)1月。
籠城する三木城への兵糧攻めは佳境を迎えます。宇喜多直家が信長側についたことで、輝元陣営からの食糧補給路が断たれ、城内の食糧が底をついてしまったのです。
のちに三木の干殺し(みきのひごろし・ほしごろし)と称されるほどの飢餓状況に陥り、牛馬はおろか、ネズミや壁に埋め込まれた藁までも食べてもなお餓死者が続出していました。

別所長治
▲別所長治

ここにおいて信長軍は、城主と一族の切腹を条件に兵の助命を終戦条件で提示。城主・別所長治はこれを承諾し、

「今はただうらみもあらじ諸人の
    いのちにかはる我身とおもへば」

との辞世の歌を残して絶命しました。
これにて1年10カ月続いた三木合戦は、ようやく幕引きを迎えました。

 官兵衛、大名になる

3月。人質として秀吉のもとに預けられ、その後竹中半兵衛により匿われていた長政が、姫路に戻されました。2年半ぶりの親子の対面となり、官兵衛も光も大いに喜んだことでしょう。

三木城を落とした秀吉はそこを中国地方制圧の拠点にしようとし、これまでの根城だった姫路城を官兵衛に返還することにしました。
ところが官兵衛は首を縦に振りません。一度献上したものを返してもらうわけにはいかぬというわけです。さらに、やや内陸へ入りこんだ位置にある三木城よりも姫路城のほうが中国地方制圧には利便が良いと説きます。
ならば判ったと、秀吉は引き続き姫路城を活用することとし、城の改築工事を官兵衛と、秀吉の妻・ねねの縁続きであった家臣・浅野長政(あさのながまさ)に委ねました。


▲姫路城(ピンク色ピン)と国府山城(赤色ピン)と三木城(黄緑色ピン)の位置

翌年3月には姫路城は3層の天守を持つ広大な城となり、さらに姫路の北にあった山陽道を城の南側に配した城下町を通過するように整備しました。
姫路城の二の丸に住んでいた官兵衛は、これを機に国府山城へ移ります。

真柴久吉公播州姫路城郭築之図
▲真柴久吉公播州姫路城郭築之図(兵庫県立博物館蔵)

天正8年(1580年)7月。
花隈城に籠っていた荒木村重を討伐せんと、信長の重臣である池田恒興(いけだつねおき)の軍勢が戦闘を行い、花隈城の開城に成功しました。しかし村重を捕えることはできず、まんまと逃がしてしまっています。

それでもこれにより播磨平定が成し遂げられ、秀吉は播磨だけでなく同時期に制圧した但馬も含めて70万石もの所領を信長から与えられました。
これを受け、9月には官兵衛にも福井庄(兵庫県姫路市大津区・勝原区・網干区周辺)の1万石を与えられます。石高1万石以上の所領を禄として与えられた者を大名と呼びますので、これにて官兵衛も晴れて大名の座についたわけです。
またさらに翌年には同じ福井庄にてもう1万石が追加で与えられ、計2万石となりました。

幽閉の身から一転、着々と立身の階段を昇る官兵衛。続いての策略は…

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画像引用:wikipedia/663highland様(http://ja.wikipedia.org/wiki/
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