関ヶ原で徳川方についた長政。官兵衛はどう動いたか?

官兵衛と関ヶ原の戦い

 光と栄姫の脱出

慶長5年(1600年)6月。
長政が栄姫と結婚してまもなく、家康は上杉景勝討伐の兵を挙げました。長政も家康とともに出陣しましたが、気になるのは留守中の大坂の情勢です。隠居中の三成が不穏な動きを見せるやもしれぬ、そう感じた長政は栗山善助・母里太兵衛らに留守中の光と栄姫の護衛を命じます。

長政の勘は的中。三成は挙兵して大坂城を占拠します。その上で戦況を有利にすべく家康に味方する諸大名の妻子を人質にとろうとしたのです。(家康に味方する大名は東国が多かったので東軍、三成に味方する大名は西国が多かったので西軍と呼ばれるようになります)

七将のひとり細川忠興(ほそかわただおき)の妻・ガラシャもやはり西軍に人質になるよう要求されましたが、彼女は拒絶。屋敷を囲まれ万事休すとなったガラシャは家老に自身を介錯させ、屋敷もろとも火薬で吹っ飛ばさせるという悲壮な最期を遂げたのでした。

細川ガラシャの墓
▲細川ガラシャの墓(大阪府大阪市東淀川区東中島5-27-44)

細川屋敷の爆発火災により、大坂城周辺は混乱。その機に乗じた栗山善助・母里太兵衛らは光と栄姫を屋敷から脱出させ、大坂湾に待機させていた船に乗せることに成功します。船は播磨を経由して中津まで無事に到着。これにより黒田家の女性が西軍に人質に取られることはありませんでした。

それでも西軍の勢いはとどまらず、続いて伏見城を攻略。その動きは上杉討伐のため江戸に滞在していた家康の耳にも当然入って来ました。家康は西軍が東征してくることを予期し、清洲会議を開いた清洲城に福島正則を戻し、守りを固めさせました。
その上で下野国(栃木県)まで軍を進めた家康でしたが、軍議を開いた結果、上杉討伐を中止して三成率いる西軍と全面戦争に入ることを決定します。

 官兵衛、動く

東軍は進路を北から西へ変え進軍。家康は長政に対し、福島正則の清洲城を前線基地として借り受けられないか相談しました。正則に対西軍の最前線の守りを託したとはいえ、完全に正則を信じ切れてない家康は、長政にその可否を問うたのです。
長政は正則が東軍側である確証を家康に見せるべく、正則に城の借り受けを依頼し、ここで恩を売った方が心象が良いとの説得に正則も応じました。

清洲城に集結した東軍の諸大名は合議で、江戸にいた家康の出陣を待って動く旨を決定します。しかし家康は動こうとしません。慎重な家康は東軍の諸大名が完全に自身の味方であるかどうかを未だ推し量っていたのです。
ならば先陣を切って西軍を討てばその疑心を晴らすことになろうと、正則は岐阜城を襲撃。岐阜城の西に位置する大垣城には三成率いる西軍が入り、いよいよ両軍の衝突は避けられない状況になりました。
長政たち東軍は木曽川を渡って西軍へ突撃し、有利に攻撃を展開しましたが、深追いはせずに美濃国赤坂の岡山(岐阜県大垣市赤坂町)に布陣します。
あとは家康の到着を待つのみです。


▲美濃赤坂家康本陣(赤)、大垣城(青)、岐阜城(黄)

一方、中津の如水は三成の蜂起を知ると、豊前高田城主の竹中重利(たけなかしげとし・竹中半兵衛の従弟)を東軍に誘い、重利も了承します。さらに中津城の修復作業を取りやめて臨戦態勢に入りました。これは戦は戦でも籠城戦ではなく、戦いに打って出るという意志の現れだとも言えます。

そこへ三成の使者が到着。三成からの伝言は家康の味方などせず、西軍につけば好きな場所に領地を与えようというものでした。九州は西軍の大名が多いゆえに、如水も家康側から寝返るであろうとの目論見だったのでしょうが、如水は簡単な男ではありません。九州7カ国を貰えるならお味方しましょうと無理難題を吹っ掛けて使者を帰したのです。

戦となれば兵が要ります。しかし豊前国の主だった兵力は長政により既に東国へ出陣してしまっていたため、国内にはほとんど武士がいません。
そこで如水は中津城の金蔵を惜しげもなく開きました。武士に限らず浪人、百姓などに支度金を与え、豊前国内はおろか周辺部からも人を集めて9,000人ほどの軍を即席で作り上げたのです。

 石垣原の戦い

9月になりいよいよ家康は江戸を出陣。14日に美濃赤坂本陣に入りました。
家康は西軍の総大将・毛利輝元が豊臣秀頼を擁立して出陣することを恐れていましたが、幼い秀頼の出陣は淀殿により拒絶されており、輝元もまた総大将に据えられたにも拘らず、前線には出ず大坂城に籠ったままでした。

もとより長政と交流のあった吉川広家(きっかわひろいえ・元春の子)は毛利家内で東軍に加勢するよう主張していましたが、三成の工作により輝元が総大将に担ぎ上げられていた状況。そこで長政は、広家に使者を送って不参戦の密約を取りつけることに成功します。
さらに小早川秀秋をも東軍に寝返らせる約束を交わしていました。
まとまりのない西軍を落とすなら今しかない…、期は熟したのです。

小早川秀秋
▲小早川秀秋像(高台寺所蔵)

かたや九州でも大きく事は動きました。
豊後国杵築城(きつきじょう・大分県杵築市)は、細川忠興の配下の城でしたが、三成によって改易の処分を受け、城は文禄の役の際に秀吉の不興を買って領地を没収されていた大友義統に与えることになっていました。
しかし城の明け渡しは進まず、義統は武力でこれを推し進めようと挙兵するのです。

如水は義統を止めようとするものの交渉は決裂。義統を討たんと中津を出発します。
この折に如水は兵に向かって「大友義統は臆病者であるので討伐は容易い、誰でもこぞって戦功を挙げよ」と鼓舞し、士気を高めました。この演説をした場所は如水原と呼ばれ、現在でも上如水(かみじょすい・大分県中津市)という町名があります。

如水軍は中津から豊後高田城を経由し、そのまま国東半島沿岸をつたって杵築城へ進軍しました。ちょうど杵築城は義統軍の攻撃を受けているところで、如水軍が来るとの報せで義統軍は杵築城から一旦退却します。
9月13日、両軍は石垣原(いしがきばる・大分県別府市)で激突しました。(石垣原の戦い


▲中津城(赤)、豊後高田城(青)、杵築城(緑)、石垣原(黄)

いっときは押され気味の如水軍でしたが、その日のうちに形勢は逆転。義統は城に籠りますが勝ち目は無いと判断し、翌々日に降伏を申し出ました。義統は捕らえられ、のちに中津から大坂へ送られて命は助けられますが、幽閉されることになります。

 関ヶ原の戦い

義統が如水に降伏したころ、美濃・関ヶ原で天下を揺るがす大きな動きがありました。いわゆる関ヶ原の戦いです。

慶長5年(1600年)9月15日未明。西軍は大垣城や美濃赤坂より西に位置する関ヶ原に陣をとります。それを知った東軍も西へ進み、霧の早朝、関ヶ原に着陣しました。
家康の陣営は西に三成軍、東に吉川広家らの軍に挟まれる形となり、圧倒的不利に見えましたが、先述のとおり広家は不参戦の密約を交わしており、東軍に不利とも言えない状況。


▲家康(赤)、その他の東軍(桃色)、三成(青)、その他の西軍(水色)、小早川秀秋(西側紫)、吉川広家(東側紫)

しばらく対峙する両陣営でしたが、霧が晴れて来たころ、一発の銃声をきっかけに戦いが開始されました。乱戦は数時間続きましたが、決着はつきません。東軍に寝返るはずだった小早川秀秋の軍は未だ動かず、三成も家康も秀秋の動きを注視します。

イライラする家康は秀秋の部隊へ向かって威嚇射撃をしたとも言われ、長政軍の猛攻を見た秀秋はようやく意を決して山を駆け下り、東軍に寝返りました。すると他の西軍の軍勢の中にも東軍へ寝返る部隊が続出。

一方、東に陣取っていた吉川広家もまた、他の西軍側から戦闘開始を要請されるも、「霧が晴れたら」と答えて動こうとしませんでした。
広家は先鋒を任されていたため、先鋒が動かねば後方に控える部隊は動けません。後方で陣を張る毛利秀元(もうりひでもと・輝元の従弟)は、さらに後方の長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか・長宗我部元親の四男)に動かぬ理由を尋ねられ、「今は兵に弁当を食べさせているから」と苦し紛れな回答をしてしまう始末。(宰相殿の空弁当

いずれにせよ、東軍を東側から睨む西軍の各軍勢は、最後までほとんど動かなかったのです。

決戦地
▲関ヶ原古戦場・決戦地(岐阜県関ヶ原町関ヶ原1202)

長政にとってこの関ヶ原はかつての人質時代に竹中半兵衛に匿われて過ごした場所のそばであり、半兵衛亡きあとこの地を治めた重門との交流により、いわば有利な戦場でした。
戦闘の際も竹中重門の道案内により、西軍の先鋒であった島左近(しまさこん)の軍勢に横から不意打ちで銃撃を浴びせることに成功します。左近の軍勢が総崩れになると、長政はさらに猛攻で西軍を追い立てました。結果、小早川秀秋の寝返りもあって西軍は惨敗。三成は戦場から逃走してしまうのです。

日本をふたつに割った大戦でしたが、蓋を開けてみればわずか半日でその幕引きを迎えたのでした。

黒田長政・竹中重門陣跡
▲関ヶ原古戦場・黒田長政・竹中重門陣跡(岐阜県関ヶ原町関ヶ原732-27)

関ヶ原での戦いは終わったものの、如水の戦いはまだ続く

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画像引用:wikipedia/KENPEI様(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%
B0%E5%B7%9D%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%A3)、
関ケ原観光協会(http://n-hp.com/navigate/public/mu8/bin/
view.rbz?cd=58)、wikipedia/立花左近様(http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E9%BB%92%E7%94%B0%E9%95%B7%E6%94%BF)