官兵衛の留守を狙った反乱が勃発!どうする長政!?

長政、宇都宮鎮房を謀殺する

 宇都宮鎮房の反乱

官兵衛が肥後へ出兵した隙を突いて、土着の豪族・如法寺久信(ねほじひさのぶ)が反乱を起こします。留守を預かる長政は鎮圧のために兵を出し、辛くも勝利を収めました。
しかし、そこで話は終わりません。毛利勝信の勧めにより一旦官兵衛に明け渡していた城井谷城を奪還すべく、宇都宮鎮房までもが挙兵して城井谷城に攻め入ったのです。

あれよあれよという間に城井谷城は奪われてしまい、報せを受けた官兵衛は肥後から急遽、豊前の馬ヶ岳城へ戻りました。
長政は即刻の城井谷城再奪還を主張しますが、官兵衛は首を縦に振りません。山城である城井谷城は攻め落とすのが難しいので、正攻法では落とせないと読んだのです。

宇都宮鎮房
▲宇都宮鎮房像(天徳寺蔵)

しかし血気盛んな長政は辛抱できません。家臣が諌めるのも聞かず、2,000の兵を率いて城井谷城へ進軍したのです。
しかし急峻な地形と進入路の狭さ、三本の弓矢さえあれば大軍をも防ぎきると言われた「三丁弓の岩」の存在など、天然の要塞である城井谷城は防御力が高く、長政の軍勢は攻めあぐねてしまいます。攻めれば守りに徹して城内に籠るわ、逆に一歩引けば高所から鎮房軍が追撃してくるわと、全く勝ち目が見えてこないのでした。
挙句に長政の先鋒隊は壊滅し、家臣の説得により長政は撤退。貴重な家臣団の重鎮を何人も失う大失態を演じてしまったのです。

ただ無闇に攻め入るだけでは勝てやしないと、官兵衛は城井谷城に通じる道を封鎖して兵糧攻めを指示します。
封鎖地点を急襲されることも考え、兵も配置しておきました。
また、同時に勃発していた他の一揆の鎮圧にもあたる日々が続きました。

 長政、宇都宮鎮房を謀殺する

天正15年(1587年)12月、小早川家の兵の助けもあって、ようやく豊前国内で多数発生していた一揆の鎮圧が完了。残すは城井谷城に籠る鎮房だけとなります。
城への道は完全に封鎖されていたため食糧の搬入もできず、次第に城内は困窮しました。城兵も逃亡するほどになり、結果的に小早川隆景が仲裁するかたちで、翌月に鎮房の娘・鶴姫と息子・朝房(ともふさ)を人質とする事を条件に和議が結ばれました。

こうして豊前の一揆や反乱はすべて鎮圧となりました。逆に大波乱となった肥後では、その責任を取って佐々成政が秀吉から切腹を命じられる結末に。

天正16年(1588年)、官兵衛は居城を馬ヶ岳城から中津城(なかつじょう)へと移します。

中津城
▲中津城(大分県中津市二ノ丁本丸)

馬ヶ岳城は山城ゆえに城下町の発展が見込めなかったため、中津平野に新たな城を築城。山国川の流れが天然の堀の役割を果たしてくれる上に、海にも近く、海上交通の利便をも考えたのです。

春、官兵衛は肥後の一揆の後始末のために中津城を離れます。その際、官兵衛は長政に策を授けておきました。
その策とは鎮房の殺害法…。殺生をなるべく避ける官兵衛が鎮房を殺害せよと長房に知恵を授けたのは不思議なところではありますが、これも秀吉が鎮房を生かしておくのを拒んだためだとされています。

そして官兵衛が再び肥後へ出向いた4月。長政は鎮房を中津城に招きました。子供を人質に出して和議を結んでおきながら中津城に挨拶にすら来なかった彼が、なぜか今回は素直に足を運んできます。しかし手ぶらではありません。200人もの家臣を連れての入城を謀ったのです。
長政は言葉巧みに家臣団を合元寺(ごうがんじ)に待機させ、鎮房のみを城内で接待することに成功。隙を突いて斬りつけて殺害します。主人の謀殺に激怒した合元寺待機の家臣団は中津城に攻め入ろうとしますが、長政の兵によりすべて討ち取られました。

この戦いで合元寺の白壁は血に染まり、それ以降何度塗り替えても血痕が消えないため深紅に塗り替えられ、現在に至っています。

合元寺
▲合元寺(大分県中津市寺町973)

その後、長政は城井谷城を攻め落とし、肥後行きの官兵衛に同行した鎮房の息子の朝房も、官兵衛の家臣によって肥後で殺害されました。
同じく官兵衛の人質になっていた鶴姫は自らの命を断とうと決意しましたが、憐れんだ官兵衛が秀吉に助命を求め、秀吉も許したため釈放され、ひっそりと暮らしたと言われています。鶴姫も官兵衛によって処刑されたという説は、後年の創作です。

ちょうどそのころ…
後陽成天皇 天正16年(1588年)

後陽成天皇聚楽第行幸

ごようぜいてんのう じゅらくだいぎょうこう

前年に完成した秀吉の邸宅である京の聚楽第に天皇が行幸し、外交使節との謁見の場にも用いたため、聚楽第は豊臣政権の首都的存在でした

写真は後陽成天皇像

秀吉の命令通りに宇都宮鎮房を亡き者にしたものの、暗雲だけが立ち込めて…

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画像引用:wikipedia/Mukai様(http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%9F%8E)、公益社団法人ツーリズムおおいた様(http://www.visit-oita.jp/album)